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狩野川漁業協同組合   Kanogawa Fishermen's Union

狩野川漁協事務所

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狩野川漁協概要紹介ページ

組織・役員

役 職 氏 名 その他
組合長 田口 友次
理 事
監 事
23 名
事務長 鈴木 哲哉
組合員 1702名
総 代 116名



静岡県伊豆半島・清流狩野川ついて

狩野川――この豊な流れ
新&狩野川大橋上手
新狩野川大橋
  狩野川は、その源を伊豆半島の天城山系に発します。下田街道に沿って北上した後、大見川、修善寺川等の支流を合流し、田方平野を潤し、更に北に向かって蛇行しながら流路を西北に転じ、来光川、大場川の諸支流を合わせ、狩野川最大の支流である黄瀬川と合流した後に、沼津市街を経て駿河湾に注ぎます。
   その流域面積は852km2、流路延長は46kmにおよび、沼津市、裾野市、三島市、御殿場市、伊豆市、伊豆の国市、駿東郡、田方郡の6市2郡3町にまたがっており、水系の支流は72本があります。
   狩野川流域は、国内有数の名山を有する富士・箱根・伊豆国立公園に囲まれていることから風光明媚な土地柄を示しています。地形的には、流域面積の84%を山間部が占めるほか、修善寺より中流には田方平野が広がり、河口部は三角州の低地となっています。
   狩野川の水源地天城連山は雨の多い地域で、年間降雨量はおよそ3,000mmを越えます。さらに、柿田川にに代表される富士山からの伏流水を合わせた、流量の豊富なその水は清流として知られ、天城湯ヶ島や中伊豆では、ワサビ栽培が盛んです。また、鮎の宝庫で友釣りの発祥地でもあります。流域には温泉地が点在し、観光客も多数訪れています。


清流に棲む元気もの――狩野川の象徴 「鮎」 

修善寺橋上手
修善寺橋
狩野川には、ヤマセミ、ルリイトトンボ、アマゴなど、清流にしか棲息しない生き物たちがたくさんいます。
 なかでも狩野川といえば鮎。全国でも有数の魚影が濃い川として知られています。
  狩野川のゆるやかな流れが鮎の生育、産卵に適しているからでしょう。もちろん水の美しさも、鮎が棲むには絶対条件です。上流・中流で育った鮎は、秋、石堂橋付近から黄瀬川合流点付近まで流れくだり、小砂利の浅瀬に集まって産卵します。
  狩野川は、わが国独特の漁法である、鮎友釣り発祥の川です。例年、5月下旬の解禁から秋にかけて、全国各地から訪れる多くの釣り人で賑わいます。


狩野川のおいたち――
川の恵みが農耕文化を育んだ、ふるさとの川

 
田沢橋上手
宮田橋
狩野川が生まれたのは、太古の昔――人間がこの世に姿を現すずっと前のことです。伊豆の国が南のほうからやって来て、本州にぶつかりました。そうしてできた伊豆半島の、北が沈み南の方が高くなり、雨水が天城山から駿河湾へと流れ出しました。それが、狩野川の誕生でした。
   水は谷を削り、土砂を下流に運び、田方平野を形づくりました。やがて魚が清流を遡り、虫や鳥や動物たちが、八丁池や無数の滝、原生林の中で暮らしはじめると、人間もやって来て、この地に定住しはじめたのです。やがて人間は狩野川の豊富な水源を利用して田畑を耕すようになり、ここに豊な農耕文化が育まれていきました。
   縄文時代中・後期のもとで、竪穴式住居や環状列石などが発見されている上白岩遺跡(旧中伊豆町)や、わが国の四大農耕集落遺跡の一つに数えられている、弥生時代後期の山木遺跡(旧韮山町)など、狩野川流域に点在する多くの遺跡がその名残です。この他にも、各種の土器や石器、静岡県では希な青銅器なども流域各地で発掘されています。
   狩野川の名前の由来には諸説がありますが、日本書紀(8世紀)によれば、伊豆の国で船を造り、その名を「枯野」と称したとあり、それが軽野(カルヌ)からカヌに変わったという説が最も一般的です。

狩野川漁業協同組合

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